安小の誕生 明治6年〜
安小の誕生当初

学校設立許可書 明治6627 
 北第11大区長猪狩懐忠が熊谷県に学校設立の場所を旧安中県撃釼場とすることを許可された。

熊谷県学務概則 明治611
 熊谷県には6中学区が置かれ、安中小学区は第18番高崎中学区となった。また、教員養成機関である暢発学校に関する規定や私学・私塾・家塾に関する規定が書かれている。

上等小学教則表・下等小学教則表 明治時代初頭
 各級毎の授業名・時間数・授業内容の一覧表。小学は上等・下等に分かれ、さらにそれぞれが8級に分かれ、各級毎の期間を6ヶ月とし、一週間の授業時間は30時間であった。

日暦 明治67月〜明治812
 明治677日の開校式の来賓として富岡学校出張勧業掛蒔田一郎・21大区長兼学務掛萩原茂十郎・当区長猪狩懐忠・戸長小野直・戸長桜井喜平、教員として小林禎・津金常緝・津金豊秋、手伝として猪狩忠寛・福長秀驕E橋本惟孝・室橋信好・浅田信芳の名前が見える。開校の月日まで記載された現存する県内唯一の小学校事務日誌である。

安中小学校入門鑑札 明治677

 山崎浅八の五男である山崎半三の安中小学校への入門鑑札。

安中小学校入門鑑札 明治6722

 小林禎の次女である小林みやの安中小学校への入門鑑札

板倉勝任・種子書状 明治86
 板倉勝殷の三女花子と結婚した板倉勝任と四女種子は連名で安中小学校へ金百五十円を寄付し、子弟教育の一端としてほしいとしている。

板倉勝任

安中小学校寄付募金趣意書 明治8
 旧藩主板倉家より安中小学校へ金百五十円が寄付されたので、これを機会に同志と計らって資本金を増補し、その学資の不足を補うことを呼びかけている。そして、これは学校のみではなく、義倉の役目もあるとしている。冒頭に「甘雨公以来一層文武ノ業ヲ奨励」したとあり、旧安中藩士には板倉勝明の存在は大きなものであったことが窺える。また、この頃は区内の16の小学校の教員は悉く安中学校から派出されていたとある。

安中小学校敷地等下渡許可書 明治83
 明治712月に北第11大区長猪狩懐忠・学区取締萩原茂十郎は熊谷県権令楫取素彦に対して旧安中県内の元撃釼場の敷地・建物などを無償で借り受け、これを修繕して安中小学校の開校を願い出た。これに対して熊谷県は明治83月に許可している。

安中小学校敷地絵図 明治時代
 旧安中藩撃釼場は、明治8923日に、安中小学校敷地として、群馬県から碓氷郡へ引き渡されたことが書かれている。